100か日法要の流れや参列するマナー|100か日法要をしない選択もある?
「49日法要や一周忌は聞いたことがあるけれど、100か日法要は、あまり聞いたことがない…」という人は多いかもしれません。
たしかに最近では、法要を簡略化することが増えているため、実際に100か日法要に参列した経験がある人は、あまり多くないと推察できます。
「100か日法要は、49日法要や一周忌とどう違う?」「どのようなマナーがある?」という疑問を持つ人もいることでしょう。
ここでは、100か日法要の意味や法要の流れ、参列する側のマナーなどを簡単に解説します。
100か日法要とは
100か日(ひゃっかにち)法要は、ほかに「100日忌 (ひゃくにちき)」「卒哭忌(そっこくき)」「出苦忌(しゅっくき)」などといい、 故人が亡くなってから100日目をめどにおこなう法要 です。
仏式でおこなうもので、神式で故人の死後100日目におこなう百日祭とは区別します。
100か日法要は、49日目の忌明けをむかえた後に初めておこなうもので、親族のみが集うことがほとんどです。小規模であっても、故人や遺族にとっては、たいせつな行事のひとつです。
別名「卒哭忌」ともよばれる100か日法要は、声を上げて泣く「哭」の状態から、卒業する法要を意味します。
つまり、遺族が悲しみに一区切りをつけ、それぞれの日常に戻っていくために節目とするタイミングなのです。
また、仏教では、49日法要で故人の魂が極楽へ行けるかどうかが決まるとされています。
もし、このときに極楽に行けなかったとしても、100か日法要でふたたび審判を受けることが可能で、遺族が供養することによって救済されるといわれています。
このような理由から、100か日の法要は、故人や遺族にとって重要なのです。
100か日法要をしない選択も
近年は、100か日法要をしない選択をするケースが増えてきました。そのため、なじみの無い人が多いことでしょう。
遺族のほとんどが高齢であるという理由から開催しないこともあります 。
コロナ禍以後は、遺族だけでも集まることが難しいケースもあり、特に省略される傾向にあったと思われます。しかし昨今では、遠方との行き来がしやすくなっているため、都合のつくメンバーで故人を偲ぶために集うのもよいのではないでしょうか。
49日法要から一周忌法要までには、かなり時間があります。
100か日法要には、悲しむ日々から日常に切り替えるという意味がありますから、故人の遺品整理や形見分けなどは遅くとも100日までにおこなうとよいでしょう。
100か日法要の流れ
100か日法要の流れを解説します。といっても、少人数でおこなうコンパクトな法要ですので、内容はシンプルです。
まず、 施主のあいさつがあり、次に読経・焼香をおこなったあと、僧侶の説法を聞きます。最後に会食をおこないます 。会食は省略することもできます。
施主のあいさつ
基本的に、100か日と49日の法要で、 あいさつの仕方に大きな違いはありません 。参列者への感謝と、これから僧侶に読経をお願いすることを告げ、法要の始まりとします。
長くならないよう、簡潔にすることがポイントです。
(例)「本日は、ご多忙の中、故人のためにお越しいただきありがとうございます。これより読経を始めさせていただきます。(僧侶の方を向いて)それでは、よろしくお願いいたします」
読経・焼香・説法
施主のあいさつの後、僧侶による読経が始まります。
焼香は、故人と血縁関係の濃い順におこなうのが基本です。場合によっては、血縁順ではなく、生前の故人と関係が深かった人を優先することもあります。
宗派によって焼香の所作がやや異なるため、 事前に確認しておくと安心 です。
読経が最後まで済むと、僧侶による説法があります。内容は、100か日に関係する話で、遺族の悲しむ心を救ってくれるような話をされることが多いでしょう。
僧侶の説法が終わったら、施主が簡単にあいさつをおこなうことで、法要が終わります。
会食
読経や焼香の後、会食(お斎・おとき)をする場合もあります。法要の流れのひとつというより、身内が集まって食事をするというほどのものでしょう。
法要会場でそのまま開催する場合は、葬儀社が用意してくれることがほとんどです。
自宅で行う場合は、手料理を振る舞う他、お弁当を手配します。
別会場で行う場合は、あらかじめお斎で利用する旨を伝え、予約しておきます。
近年は、新型コロナの流行で会食を避けて、持ち帰りのお弁当やグルメギフト(カタログや金券)を用意する人も増えています。
流れとしては、 施主による献杯のあいさつがあり、その後は故人の思い出を語らいながら食事し、解散というのが一般的 です。
もし、故人が著名であったり、交友関係が広い人だったということであれば、100か日法要のタイミングで、有志が主催する「偲ぶ会」がおこなわれる場合もあります。
他にも、特定の故人ではなく、無縁仏を供養する「施餓鬼会(せがきえ)」をおこなうこともあります。施餓鬼会をおこなうことにより、施主や故人、先祖に功徳をもたらすとされています。
返礼品について
遺族側は、 香典やお供えに対するお返しをあらかじめ選んでおくとよいでしょう 。
お返しの品は、他の法事と同じようなものでかまいません。
食品であれば、お茶や海苔、お菓子など、日用品であれば、タオルなどが一般的です。のすぐに消費することができるものを意識して選びます。
100か日法要に参列するときのマナー
100か日法要に参列するときの基本的なマナーは、 葬儀や49日法要と変わりありません 。
服装やお供え、香典について確認しましょう。
服装について
100か日法要は、 前もって開催の案内が届くため、急いで準備する必要はありません 。
親族のみで執りおこなわれることが多い法要ですが、施主あるいは参列者、それぞれの立場で気にかける服装のマナーは、以下のとおりです。
- 施主、遺族の場合…準喪服
- 参列者の場合…準喪服か、略喪服
準喪服は、通夜や葬儀などで着用するもので、男性はブラックスーツ、女性はアンサンブルのブラックフォーマルを指します。
略喪服は、「平服」と指定された時などに着る、準喪服に準ずる喪服です。男性はダークグレーなどの地味な色合いのスーツ、女性は地味な色のワンピース、スーツ、アンサンブルなどの華美でない格好を指します。
参列者が喪主よりも格が高い服を着用するのは、マナー違反です。準喪服よりさらに格式が高い、モーニングやタキシード、和装などの正喪服は控えましょう。
お供えについて
100か日法要は忌明け後となるため、花の種類や色を豊富に選ぶことができます 。よって花を贈る人が多い傾向にあります。
生前、故人が好きだった花など、ゆかりのあるお花をお供えするとよいでしょう。
ただし、派手にならないように淡い色や白い色の花を混ぜる、棘のある花は避ける、など配慮する点はあります。
花以外では、線香やロウソク、菓子、お茶などが、よく選ばれます。
反対に、お供え物としてNGになるものを確認しましょう。
殺生を意味する肉や魚などは、生ものでもあり、日持ちしないため避けましょう。また、ビールやたばこといった嗜好品は、仏教では供えるものではないとされています。
ですが、生前、故人が好きだったもので、どうしてもお供えしたいものがあれば、お寺さんに相談してみてもよいでしょう。
香典について
身内であっても、香典を持参します。
金額は、10,000円から15,000円が相場です。 会場や料理、故人との関係によっても異なります 。
100か日法要のお布施
僧侶への感謝を伝えるために渡すお布施は、金額に決まりがありません。ただし、目安となる金額はあります。
宗派によって大きく差があるものでもないため、事前に確認しておくと安心です 。
お布施の相場について
100か日法要で僧侶に渡すお金には3通りあり、それぞれの相場は以下の通りです。
御布施:3万~5万円
御車代(出向いていただいた場合):3千~1万円
御膳料(会食のある法要で、僧侶が参席しない場合):5千円~1万円
お布施のみをお渡しする場合と、組み合わせてお渡しする場合があります。
包み方は、白い封筒がもっとも多く用いられています。ほかにも、双銀か、白黒の水引きの封筒であったり、黄色と白の水引きを用いる地域(関西)があります。
二重になっている封筒は「不幸が重なる」という意味につながるため、避けましょう 。
表書きには「御布施・御車料・御膳料」とそれぞれに記載し、封筒中央下に喪主の名前を書きます。名前は苗字のみでもかまいません。僧侶にお渡しするお金は不祝儀ではないので、表書きは薄墨ではなく黒墨を用いてください。
裏面にはお布施の金額を記載します。金額だけでなく、住所や電話番号もあわせて記載すると、より丁重になります。
渡し方・渡すタイミングについて
法要前に僧侶へ挨拶をするときや、法要後にお礼を言うタイミングでお布施を渡します。
この時、気をつけたいのは渡す方法です。
手渡しはマナー違反に当たるため、冠婚葬祭用の切手盆(きってぼん)や、ふくさの上に乗せて渡します 。
もし、切手盆がない場合は、小さなお盆で代用しても差し支えありません。
僧侶から封筒に記載した文字が読める方向に置き、お盆やふくさに乗せて渡します。
まとめ
今では省略されることが多い100か日法要ですが、法要をおこなう意味や、マナーなど、さまざまなことを知っていただけたかと思います。
故人を亡くした悲しみが深いと、いつものように日常生活を送るだけでも大変ですよね。
私たちは、最愛の人をうしなった悲しみを克服するために、法要に意味を持たせた昔の人の知恵を、こういったタイミングで知ることができます。
喪に服す時期と、元の生活に戻っていく時期のきりかえを意識し、供養の思いを「法要」という形であらわすことは、昔も今も変わることのない、人が前へ歩んでいくための術(すべ)となり、続いてきたのです。
時代がうつりかわることで供養の形が変わっても、次の世代に繋いでいきたい知恵や考え方を忘れないでいたいものですね。