【お葬式のタブーを考える】してはいけないことは、なぜしてはいけないのか

【お葬式のタブーを考える】してはいけないことは、なぜしてはいけないのか

時代と共に文化が変わり、多様な選択肢が生まれた現代においても、悲しみの席であるお葬式は祝い事を慶ぶ席である結婚式などと比べて、変化が受け入れられにくい儀式です。

死者の弔い方には多くのルールやマナーがあること同様、タブーも存在しますが、このタブーは何のために、そして誰のために存在し、なぜ忌避されるのでしょうか?

タブーの恩義は誰が受けるのか

死に関するタブーは、大きく「故人のため」「遺族のため」「参列者のため」の三つに分類できます。

故人のためのタブー

故人のためのタブーには、死後の世界で故人が不便をしないようにとの配慮から生まれた、宗教的な意味合いが強いものが多いです。

極楽浄土への道しるべである線香を通夜の晩は絶やしてはいけないという「寝ずの番」も故人のためのタブーです。

あの世はあらゆるものが逆になっているという言い伝えから、故人があの世で不便をしないように死装束などを右前ではなく左前に、横結びではなく縦結びにしてこの世とは逆のことをする「逆さごと」も、宗教的な意味合いをもつ故人のために存在するタブーだと言えるでしょう。

故人を大切に想う人のためのタブー

遺族のためのタブーは、悲しみを増幅させたりフラッシュバックさせる恐れのある行為が多いでしょう。

その人の死を待ち望み準備していたと思われてしまう「香典には新札を使うこと」はタブーとされています。

故人の死の瞬間の悲しみをむやみに思い出させることのないよう「直接遺族に詳しい死因は尋ねること」が故人を大切に想う人のためのタブーに該当します。

大切な人を亡くして悲しむ遺族を不快にさせないようにという気遣いによって生じるタブーなので、厳守するべきもののように思えます。

ところが、「形式化されすぎた、時代にそぐわない振る舞いをしなければいけないこと」は、遺族にも参列者にも「自分らしい悲しみよりも、格式を優先してしまう結果」に繋がってしまっている現実も、やはり存在します。

現在、「家族葬」が多くなり、遺族ではない限り故人とのお別れの場を持つ機会が少なくなりつつあるのは、「お葬式でホストをこなすことよりも、家族の悲しみを優先したお別れの席にしたい」という、尊重されるべき遺族の意向があるからです。

それに伴い、遺族をホストとしないお葬式以外の「お別れの席の選択肢」が増えることは自然な流れですし、むしろ「お葬式だけをお別れの席とするべきではない」とさえ感じます。

参列者のためのタブー

参列者のためのタブーは先述のタブーとは少し性質が違い「穢れうけることを避ける」という目的で存在します。

大切な人とのお別れの席であるはずのお葬式に、なんとなく恐ろしいイメージがあったり、遺族が故人の死後に喪に服すとして閉鎖的な振る舞いを強いられるのもこの「穢れ」という要素が大きく関わっています。

一体穢れとは何であり、なぜ「穢れうけることを避ける」必要があるのでしょうか。

穢れとは何か

日本には古来より、穢れは伝染するもので、穢れを持つ人物は周りにいる人にまで異常をもたらす為に避けるべきである、という考え方があります。

「穢れ(ケガレ)」とは、忌まわしく思われる不浄な状態を表す概念で、死、病気、血、女性、出産、性行、排泄などによって生じます。

例えば、江戸時代には月経中の女性は穢れとされ、月経が終了するまで月経小屋と呼ばれる場所に隔離され、その間は家族と会うことさえ許されませんでした。

しかし、現代の日本でそんなことが行われることは、まずあり得ません。

現代では、「月経」が超自然的な穢れのような得体の知れないものではなく、生理の役割が医学的に説明可能な事象へと変化したからです。

お葬式も死にまつわる行事なので穢れであるとされます。

不幸が続くことを連想するような言葉は忌み言葉は厳禁であること、道連れを避ける為に棺に生きている人が映った写真を入れないことや、葬儀後には振り塩をして祓い(ハライ)を行うことなどに加えて、「小さな声を心がけなければいけない」「和やかに振る舞ってはいけない」など。

まるで恐ろしい怪物に目をつけられないようにと恐れるような振る舞いも、故人や遺族を含む「死そのもの」を穢れとして扱うことが由来となっています。

現代のお葬式に多くの穢れに関するタブーが存在し続けているのは、「死は穢れだという価値観が変化していないから」なのでしょうか?

「死」は女性の身体にしか起こらない月経以上に、誰にでも必然に起こることなのに、生前は普通に付き合うことができた人間が「故人」となった瞬間に恐れ避けなければいけない存在として扱うことは、本当にしなければならない必要なことなのでしょうか?

それぞれに映る故人と、それぞれのお別れを

宗教儀式という形態をとっているお葬式では、なんとなく行われる慣習にも宗教的な意味合いのマナーやタブーが込められています。

宗教的な祈りが込められた動作を行うことで、死を受け入れていくというという意味合いもあるでしょう。

もちろん宗教に対する信仰心は、人それぞれ自由に持っていて構わないものです。

しかし強く信じているとは言えない伝統やルールを過剰に気にして「故人を規格化」してしまうあまり、確かに生きていた大切な人と納得がいくお別れができないというのは、本来のお葬式の意味から外れてしまうのではないでしょうか?

お葬式の本質というのは、動作の強要により格式ばった儀式をこなすことではなく、参列者がそれぞれに映る故人を想い、それぞれのお別れを告げることにあります。

お葬式で行われる動作に込められた意味を知った上で、守らなくていいマナーや破ってもいいタブーを自分の中で見つめ直すことが、確かに故人を想っているその人にしかできないその人なりのお別れを告げることに繋がればと思います。

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小山ねね
小山ねね
むじょうの呟きライター
1997年5月13日生まれ。18歳から自叙伝代筆業を始め、2022年春より株式会社むじょうにて執筆開始。趣味はレコード収集。好きな食べ物はうどん。