【ブランドを閉じる】利用者と事業者が一緒に「業」を弔う - 株式会社ディライトクリエイション様 -

今回のクライアントインタビューでは、犬の社会課題を獣医学研究者と共に考えるブランド「docdog(ドックドッグ)」のファウンダーである廣瀬理子さんにお話を伺いました。廣瀬さんは出向先(株式会社ディライトクリエイション)での新規事業に際してこのdocdogを立ち上げました。
事業は順調に伸びていたものの、諸事情で事業の撤退を余儀なくされたdocdog。あと9日で会社を閉じるというタイミングでご連絡をいただきました。
「変化にもっと優しく」というビジョンを掲げる弊社では「終わり」という変化にも優しい眼差しをむけるためのお手伝いをさせていただいています。今回は「ブランドを閉じる」という変化に際してお手伝いさせていただいた際のエピソードをお聴きしていきます。
前田:まずはdocdogを知らない方のために事業内容について聞かせてください。
廣瀬:docdogは愛犬と飼い主さんが心と頭で通じ合えるような社会を作ることをゴールに立ち上げたブランドです。
犬の靴や靴下、ヘルスケアグッズの企画・製造・販売をしていました。
他にも、飼い主さんと愛犬がお互いに心地よい暮らしについて考えるヒントを提供することを目指した体験談や専門家のお話を発信するメディアを運営していました。
前田:心と頭で通じ合う... まだイメージしきれていないのでもう少し詳しくお聞かせいただけますか?
廣瀬:人と犬は言葉が通じないので分かり合える状態って難しいんですよね。家族だからなんでもわかるというのは通用しない。犬の生態をちゃんと理解した上で「うちの子は」っていう話なんです。犬を知ることがコミュニケーションの第一歩というイメージで「頭と心で通じ合う」と言ってました。
立ち上げの経緯
前田:なるほど... なぜ犬にフォーカスした事業を立ち上げたのですか?
廣瀬:私が卒業論文でペット市場について調べていたんですよ。「ペットの子ども化と子どものペット化」というテーマで書いていて。ペットって本当に家族になれるのかについて経済学的な視点で書いていたんですね、消費のあり方からそれをみていくみたいな感じだったんですけど、自分の中ではずっとその問いがあって...
出向先で社内起業するタイミングでこの領域でチャレンジしたいと思いました。
撤退の経緯
前田:そういった経緯でのスタートだったのですね。実際、事業自体は順調ではあったんですよね...?
廣瀬:波はありましたが、順調ではありました。
前田:でも撤退を余儀なくされたのはなぜだったんでしょうか...
廣瀬:色んな理由があります。我々としては、事業も成長していないわけではなく、お客さんも増えていたので、お別れするのは悲しかった。
人間も一緒で、長い時間を共にして、老衰して、いつか亡くなるって分かるから心の準備ができると思うんですけど...
docdogは育ち盛りの子供みたいなもので、これから未来があると思っていた時のお別れだったので切なかったですね。
撤退が決まってからの心の変化
前田:クローズの日程は2022年4月22日だったと思うんですけど、撤退が決まったのはいつ頃だったのですか?
廣瀬:これちょっと複雑で、私は撤退当時に既に元の会社に戻って引き継いでいたんですね。
具体的な撤退時期が私の耳に入ってきたのは1ヶ月前くらいでした。
普通に終わるのは嫌だなと思っていた時に、陽汰くん(前田)に相談しようと思いました。以前から、むじょうの考えは面白いなと思っていたし、今は人間に対しての展開が主ですけど、陽汰くんは人間だけじゃなくて会社とか家とか町とか、色々な物事の最期について考えている話を聴いていたので、docdogの最期を一緒に考えてもらえたら嬉しいなという感じですね。
前田:そうなんですね...廣瀬さんとしては、ご自身の中で考える時間もあまりなかったですね。
廣瀬:そうなんですよね、私としては結構切羽詰まっていたので...限られた時間の中で出来ることをやりたかったという感じですね。
「ブランドを弔う」を形にする
前田:今回は弊社が運営している追悼サイト作成サービス「葬想式」を使って社員さんやお客さんから思い出の写真やコメントを集めてアルバムにする、という形でしたけど、これ以外のアウトプットのイメージはお持ちでしたか....?
廣瀬:イメージはなかったです。なかったけど、docdogというブランドを弔いたいという思いはすごくあって...
ちゃんとありがとうって言いたいし、ちゃんとお別れしたいし、docdogに関わった人たちと過ごした時間の豊かさをもう一回味わいたかったみたいな感じですかね。
前田:葬想式は人間を弔うことを前提に作られてますが、そのツールでブランドを弔うことに対しては違和感や抵抗感はなかったですか?
廣瀬:全然なかったです。私の目線で見ると、docdogって子供みたいなものなので...そう考えると、あんまり違和感がない。
ただ、やってみて人間と事業って弔う意味がちょっと違うなっていうのが分かりました。実存の在りようが違う分、事業の方が人間以上に多面性があるんですよね。もちろん人間も色々な顔を持っているけれども、事業の方が同時多発的により色々な顔を持っているなと思って。
docdogというのは「場」なので、空気のようなものです。一概に「こんな場でした」とシーンを切り取るのは難しい。でもこうやってみんなから送ってもらったメッセージや写真を見ることで「私の知らないこんな顔があったのね」というのが見えて、それが「どんな場を作れたのか」という答え合わせになって嬉しかったです。
ブランドを弔った時間の意義
前田:今振り返って「あの時ちゃんと弔いの時間を作ってよかった」みたいな感想を聴かせていただけますか?
廣瀬:葬想式を開式している3日間、あまり告知しなかったんですよ。
なのに、結構な人数が葬想式に集まったんですよね。葬想式にコメントをしたついでに私に連絡くれたり、他のメンバー同士で連絡取り合っていたり、人のお別れの時と同じですよね。
docdogの最期をきっかけに、また人と人との繋がりが深くなる3日間でした。あと、すごい悔しい思いでいっぱいだったんですけど「いいお別れができたdocdogは幸せだったな」って思うと、ちゃんと泣けたんですよね。苛立ちとかがなく、綺麗に涙を流せたというか「ありがとう~」みたいな感じで泣けたのがすごく嬉しかったですね。
※写真を眺めながら
廣瀬:この写真、めっちゃかわいい...
面白いですよね、こんなことあったんだって今でも振り返れるのって。
前田:利用者さんが投稿してくださっている写真も結構ありましたよね。
廣瀬:ありましたね。お客さんとのつながりを大事にしてたので、座談会とかよくやってたんですよ。お客さんと話す機会はあったんですけど「やっぱdocdogの商品じゃないとダメだった」みたいなコメントがお別れの場に出てきていたのがすごく嬉しくて。最期のお別れの言葉に「この商品が好きだった」とか「このブランドに出会えてよかった」という言葉が聞けたことが何よりも嬉しかったです
撤退の後も前を向いて
前田:ちゃんと泣けて良かったというお話をいただきましたが、他のメンバーのみなさんはどうでしたか?
私は「リソースの解放」という言葉を使うんですが、docdogに集中していたリソースが解放されるタイミングでうまく解放されたのか、解放しきれずに心残りみたいになってしまったのか....
廣瀬:みんな今は一生懸命取り組める目の前のことを見つけています。
近い人もいるかもしれないですけど、私は当時バーンアウトみたいになっちゃいました。こんなに大切で大好きなものをなくしちゃって、同じ熱量で新しいものを作ろうと思えるまですごい時間がかかりましたね。
今は取り組めるものが見つかってますけど、それは葬想録(アルバム)が手元に残ったからっていうのが大きいですね。
久しぶりにあった人とかに「理子あれどうなったの?」「docdogやってたよね」みたいなこと言われると「閉じたんだよね」って言うんです。そうすると「え、大丈夫?」「どうして?」みたいな会話になるんですけど「でも、ちゃんと葬想式やって葬想録を残したんだよ」って返しています。
「何それ?」みたいに言われるんですけど「事業を葬送するっていうのをちゃんとやったんですよ」と話をすると、なんだか前向きになるんですよ。
その終わり方すらも新しいし、創造的だし、すごいdocdogっぽいみたいな。最期までdocdogらしい終わり方をできたのが誇りで、それを話せていると気持ちが前向きになるというか....
前田:葬想式が前向きになる一つの要因になれたというのが運営者冥利に尽きますね...
廣瀬:間違いなくあったと思う。これ観ながら飲みにいって、本当に楽しかったね、幸せだったねとか言って。(泣きそうになってきた....笑)
同じもの(葬想録)を眺めながら、docdogの思い出話ができたことが本当に嬉しくて...
適当に時間を切り取ってない感じが嬉しかったんですよ。色々なことがあった7年間の中で立ち上げた時のこととか、安定してきた時のこととか、幾つかくらいしか区切りがないように思えるけど、写真は日々の変化じゃないですか。言葉だったら切り落としてしまう大事な毎日のシーンの積み重ねがアルバムになることでちゃんとあって、そこを取り逃がさないでみんなで話せたことが嬉しかったです。
「業」に対する責任の果たし方
前田:事業を畳む状況ってそれぞれ違うんですよね。だからこそ、この例を参考にしよう、みたいなことがしづらいテーマです。
事業を畳むというのは業を鎮めていく営みですが、業は事業によって変わってくるので鎮め方も当然違ってきますよね。たまたま、docdogはこの葬想式と葬想録というアウトプットがちょうど良かっただけで...
でも、どんな形であれ弔おうという気持ちをもって向き合うことがこの後のリソースの開放に繋がっていくという循環ができるんだなと感じました。
廣瀬:そうだと思います。さっき自分も話しながら思ったけど、業に対する責任の取り方って、事業譲渡して終わるとかの「HOW」の話だけじゃなくて、丁寧に記憶すること、記録することもあると思うんですよね。
やっぱり、事業やってるとフェーズで分けちゃうじゃないですか、頭の中で。新商品が出たタイミング、黒字になったタイミングとか、とか。だけど、毎日毎日事業の変化があるわけで、そこにはお客様がいて、お客様の日々があって、そう考えると、毎分毎秒変化があるはずなんですよ。
それを丁寧に記憶、記録するというのは閉じる側の責任だよなっていうのは思ったんですよね。
それが一回できると、リソースの開放に繋がると思っていて、適当に終わらせず記憶や記録に残したからこそ、何かあった時に引き出せるし、それをやったという達成感もあるし。そういうのが大事なんだろうなって。
編集後記
私が株式会社むじょうを立ち上げた背景には、人の死を含む 直視できない現実 に対して少しでも優しい眼差しを向けられる「足場」をつくりたいという願いがありました。
死、終わり、撤退、解散といった悲しみが伴う事象を眼差す足場になりうるのが、「変化」として向き合うメンタリティ、つまり無常観であると考え、社名を「むじょう」にしています。
葬想式はあくまで「人の死」に伴う悲しみを見渡す足場を意識してつくったものでしたが、廣瀬さんのお話を伺い、人に限らず悲しみの伴う変化の節目に寄り添えるものであると、運営者ながら勉強させていただく機会になりました。
大切な物事の喪失体験について聴くという行為は土足で心のデリケートな部分に足を踏み入れる行為です。にも関わらず、赤裸々に体験や当時の心情を語ってくださった廣瀬さん。
ブランドの撤退や会社の解散などの節目にも弔いの心を持つことで、エネルギーやリソースの開放が行われるということを勉強させていただきました。
改めまして、ご協力くださった廣瀬さん、ありがとうございました!