死んだ母の日展で集まったメッセージを紹介

死んだ母の日展で集まったメッセージを紹介

母の日に天国へのお母さんへ想いを綴る「死んだ母の日展」。今回は集まったメッセージを幾つか紹介させていただきます。

死んだ母の日展とは

死んだ母の日展はお母さんを亡くした人が、天国のお母さんへ手紙を綴れるオンライン展示会です。特設サイトから手紙を綴り、匿名で展示します。死んだ母の日展は母への感謝だけ伝える場ではありません。 近況報告、懐かしい話、愚痴、恨みなど、伝えたいことをそのままに発散できる場 です。

https://mmmm.sososhiki.jp/

死んだ母の日展 イメージ

投稿紹介

1週間前に亡くなった母への手紙

1週間前に亡くなった母への手紙

「毎日夜勤してもずっと起きててくれて、ご飯作ってくれてありがとう」
「ちゃんと親孝行も出来ていないのに本当にごめんね」
「父さんも頑張ってくれているけど、一緒にいることが多くてしんどくなってきてしまった」

感謝だけはない、お母様へ伝えたい感情がそのままに 綴られています。

死んだ母の日展 | 死別当時23歳の私から享年51歳の母へ

60年前の母の姿を兄弟と振り返る

60年前の母の姿を兄弟と振り返る

「当時では晩婚だった母は三人の子供を残して、私の小学校の入学式の日に旅立ちました。」
「弟の誕生日がお葬式当日と、60年経った今も忘れられません」

こんな文章から始まるお手紙。誰かの心に生きるってどんなことなんだろうと考えさせられるお手紙でした。

死んだ母の日展 | 死別当時6歳の私から享年39歳の母へ

ママと今は絶対に会いたくありません

ママと今は絶対に会いたくありません

「ちゃんと愛情を注いでくれるお母さんと幼い頃死別してしまった人は、お母さんが恋しい、会いたいと思うのが当たり前であるかのように思われていますが、 私はママを恋しいと思ったことは、ありません
「自分への劣等感で今も苦しいです。でも、 ママと今は絶対に会いたくありません

手紙の途中「どうしてそんなこというの」と、驚かれる方もいるかもしれません。しかし、最後まで読むとその言葉に込められた想いが伝わってきます。

死んだ母の日展 | 死別当時12歳の私から享年48歳の母へ

15歳の私が伝えたい溢れ出る母への想い

15歳の私が伝えたい溢れ出る母への想い

「高校最後の部活の公演も、大学の合格発表も、高校の卒業式や大学の入学式も、ママと同じ大学の学生証も、成績表も、ママにみせたいものがたくさんあったよ。ディズニーやUSJだって、旅行だって、海外だって、いっしょに行きたかったよ。ううん、近くのコンビニやスーパーでもいいから、親子隣同士で歩きたい、今でもそんな願いが出てきてしまいます」
「最近、いつかこの世で一人になるんだと考えてしまい、どうしようもない不安と闘っています。ばばがママと同じ病気になっちゃったよ」

見せたかった自分の晴れ舞台、親子で歩く友達を見た時の寂しさ。そして、家族の健康について。
お母さんにだからこそ、伝えたいことがたくさんあるんだなと感じました。

死んだ母の日展 | 死別当時15歳の私から享年42歳の母へ

最後に

死んだ母の日展に集まったお手紙をいくつか紹介させていただきました。
母の日は、"感謝を伝える日"だけではなくて、自分の中で言葉を綴ってみたり想いを巡らせる日でも良いのかもしれない。そんな風に感じました。

皆様にとって、それぞれの母の日をお過ごしいただけることを願っています。

死んだ母の日展は、2022年5月8日 23:59まで応募を受け付けております。

死んだ母の日展: https://mmmm.sososhiki.jp/
死んだ母の日展 投稿ページ: https://mmmm.sososhiki.jp/write

死んだ母の日展

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佐々木 雅斗
佐々木 雅斗
株式会社むじょう エンジニア
2000年生まれ。通称 あっぷるささき。N高等学校出身。中高6年間のディベート部の経験からオンラインディベートサービスの開発をきっかけにプログラミングを始める。2020年、株式会社むじょうを共同創業。